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それからしばらくそんな日々が過ぎ、有給も残り3日を切った頃、その日もイルカはいつものようにオークション会場に足を運んでいた。
もうそろそろこの都を出なければならない。断りもなく有給を使い、里を出てそれでも追い忍が自分を追いかけてこないと言うことは、里は自分を信頼していると言うことだ。その信頼を裏切ってまで我が儘を貫き通すわけにはいかない。再びカカシと共に木の葉で暮らすためにも、イルカは一度里に戻らなくてはならないのだ。
今日このオークションを見届けたら火影に式を送る。自分の代わりに誰かをオークションに潜入してもらうつもりだった。
だから実質今日が最後のオークションに参加する日だった。
その日も気だるげでどこか狂気めいた人々が集うオークション会場に足を踏み入れたイルカは、会場を一望できる後部の席でステージを見る。
いつものように最初は価格の低い出品からの競り、そして司会者がくの一にバトンタッチすると、そこからは人身売買の闇オークションの始まりだ。
だが、今日はいつもと少し様子が違っていた。いつもはくの一が1人でステージに立ち商品の説明をするのだが、今日に限って得体の知れない男も一緒にステージに立っていたのだ。見たことのない男だった。しかしどう見ても忍び、そして恐らく暗部クラス。
くの一はいつものように非合法な商品を挙げていったが、中盤にさしかかった頃、仰々しい様子で鍵のかかったケースを取りだした。
じれったいまでにゆっくりと鍵を外していき、そして中から出てきたのはガラスケース。そのケースの中にあったのは生命力溢れる、一本の腕だった。
イルカは目を見開いた。どんなに遠くからでも分かる。あれは、
「みなさまお気づきの通り、この腕は木の葉の暗部の入れ墨が施されています。しかもただの木の葉の暗部の腕ではありません。この腕はあの写輪眼のはたけカカシのものなのです。」
イルカはどくどくと自分の心臓の音がうるさくて仕方がない。
カカシさんカカシさんカカシさん。
助けたい、今すぐに、その場所から自分の元へ。
「入手するのにかなりの労力と時間がかかりました。それなりの額での取引をお願いしたいとの依頼者側の要求がございます。この腕を検分するも良し、実験するも良し、細胞は生かしてあるので拒絶反応がなければ自分の体に移植することも可能かもしれません。さあ、どうぞみなさま、この腕をよくご覧になって下さい。」
隣に控えていた男がくの一から受け取ったケースを高々と掲げて見せた。暗に力ずくで奪おうとする者は容赦なく殺すと言っていることがよく分かる。
会場は一斉に沸いた。こんなに沸いた会場は今までになかった。それだけあの腕は、あの愛する者の腕は値打ちがあるのだ。
誰にもあの腕を晒したくない、あの腕は自分のものだ。イルカはどこか夢を見ているような感覚でただ、腕を見ていた。
会場のあちこちで高値の声が上がる。あのはたけカカシだ、あの写輪眼使いの、術をいくつも繰り出すあの腕、一本さえあればなんだってできる。
会場が狂気に包まれていく。値が上がっていく。それはどこか熱病にかかった者のようでもあった。負けてはいられない、どうしてもあの腕がほしい。人々の思惑が声を出さずとも聞こえてくるようだ。
だが出てきた高値に段々と人々の声が少なくなっていく。その額は最早一個人が出せる範囲を超えている。国を動かす、その位の額になっていく。
そして最後の一声とも言うべき高値の声が上げられると、会場は水を打ったかのように静まりかえった。
言ったのは恰幅の良い初老の男だ。
もうこれ以上出す奴はいまい。いたとしたらそれはどこぞの国主かと言わんばかりの額だった。
イルカは一時目を閉じ、そして手を挙げた。その目には光りが宿っている。強い強い光りだ。
「今の額の二倍出します。」
会場が沸き返る。小さな一国を買えるかもしれない、それだけの額。人が一生かかっても稼げることはないであろう額。そんな額をこんな男が出せるはずもない。会場はそんな動揺とざわめきとでイルカに半ば非難めいた視線を向ける。
「失礼ですが借金や担保などは認められませんがよろしいのでしょうか?」
女がイルカに向かって笑みを浮かべながら聞いてきた。
「キャッシュではさすがに無理なので小切手でよろしいでしょうか。」
「結構ですわ。みなさま、よろしいですか?もう一声はございませんか?」
女は会場を見渡し、そしてゆっくりと金を鳴らした。
黒服の男が気配もなくイルカに向かって声をかけてきた。
「お客様、どうぞこちらへ。」
別室へと案内されるらしい。会場を後にしてイルカと男は小さな部屋へとやってきた。その部屋は小さいながらも調度品などがきらびやかで、イルカにしてみれば悪趣味もいい所だった。
「しばらくお待ちください。」
男はそう言って部屋から出て行った。イルカは悪趣味な革製のソファに座ることもできず、部屋の中央で立ったまま、人が来るのを待った。
もうすぐ、もうすぐあの人が手入る。やっとだ。体の一部ではあっても確かにあの人のもの。見間違うはずがない。あと数日で有給休暇が終わってしまう所だった。早く里に帰って腕を保管してもらわなくては。本体はまだ見つからないが、オークションでカカシの体が出てきたと言うことはカカシへたどり着く道が少しは開けたと言うことだ。一度里に連絡をして体制を整えて再びこの地へ来なくては。
ノックの音が聞こえてきて、男が二人入ってきた。一人は顔色の悪い、どこか体調が悪いんじゃないかと思わせるような老人と、そしてその後からついてきたのは屈強な体の中年の男だ。その男の腕にはカカシの腕の入ったガラスケースが抱えられている。
老人はソファに座ってイルカにも座るように促した。イルカは仕方なくソファに座った。
「この度は当オークションの商品を落札していただきありがとうございました。早速ですが手続きをお願い致します。」
イルカは頷いて懐から小切手帳を取りだした。そこに必要事項を記入していく。
この巨額のお金は、当然ながらイルカが稼いできたお金ではない。カカシの金であった。それは付き合いだして間もない頃、いつ何時自分がどうなるか分からないからと、どうせ自分が死んだらこのお金は里のものになってしまうだろうから、その前にあなたとの共有財産にしてきましたと、なんでもないことのように笑って通帳と小切手帳と印鑑などをイルカ用に渡してきたのだった。
そんなものはいらないと言ってきたイルカだったが、その額に呆然とした。イルカはともかく普通の上忍、いや、火影ですらその額は稼げないであろうと思われる巨額のものだったのだ。理由を聞こうとは常々思っていたが、ずっと聞けずにいたのだ。が、こういう所で役に立った。再会した時にはあなたのおかげで助かったのだと堂々と褒めてあげよう。
イルカは口元に微かな笑みを浮かべた。
必要事項を書いた小切手を老人に手渡すと、老人はしっかりと確認してよろしい、と言って隣に立っていた男に目配せした。
机の上にケースが置かれる。ガラスに阻まれたその中に白く輝くあの人の体があった。間違いない、カカシの腕だ。
「正直ここまでの巨額の取引があったのは初めてです。余程この腕に固執していらっしゃったのですな。」
イルカは曖昧に頷いた。
「詳しいことはおたずねしません。それがこのオークションの鉄則ですからな。こちら側も何も言うことはありません。この後は再びオークションに参加されるのでしょうか?」
イルカは横に首を振った。
「では出口まで見送りさせましょう。お前、このお方を丁重に送って差し上げなさい。」
老人の言葉に男は頭を下げた。イルカがケースを外から見えないように鞄に入れるのを待って男は部屋のドアを開けて待ち、イルカが出てから丁寧に閉めた。
出口までのほの暗い廊下を二人の足音だけが響く。まだオークションが続いているから参加者が会場に残っているせいだろう。静かなものだった。
そして出口まで来ると男は無言でイルカを外まで見送ってそして建物の中に帰っていった。
イルカはその後ろ姿が見えなくなると鞄を抱えて走り出した。
まさか今日とは思わなかったからとりあえず屋根裏部屋に戻ってそして準備をしてすぐに出立しなければ。
時間が惜しい。イルカは近道しようと公園を横切ることにした。木々の間を跳躍していると、背後からクナイが飛んできた。
間一髪でイルカはそのクナイを避ける。そして身を隠す。
狙われるかもしれないとは思っていたがこんなに早く、いや、オークション会場からずっとつけていたのだろう。
クナイの軌道がイルカにも確認できたと言うことは、相手はイルカと同等かそれ以下と言うことだ。油断しなければ大丈夫だ、この腕だけは絶対に死守する。
イルカは相手の気配を探った。相手は三人のようだ、イルカは草むらの中で身を潜ませながら相手の様子をうかがう。
「無駄ですよ、あなたの実力じゃあ、僕には勝てない。」
聞こえてきた声に聞き覚えがあった。イルカは戦慄する。あいつの実力は暗部の集団をいとも簡単に消すほどだ。上忍クラス以上だ、勝ち目が、ない。
震えそうになる足を叱咤して、イルカは潜んでいた草むらから抜け出して走り出した。こうなってしまったらあとはもうひたすら逃げるしかない。正直、逃げ切れるとは思っていなかった。だが、里の近くまで行けば、そこまで行って誰かにこの腕だけでも託すことができれば、里の者以外にこの腕を渡すわけにはいかないのだ。
背後から手裏剣やクナイが投げつけられる。それらをかわして、或いはたたき落とす。だが全ては避けられない、体の端々に切り傷ができていく、このままでは出血多量になってしまう。相手の狙いはそこなのか?少しずつ体力を削っていくつもりなのか?
ここから木の葉までは遠い。相手は三人、追いつかれるのは目に見えている。
「遅いですね、あなたの足は。」
イルカのすぐ横にそいつが平行して着いてきた。イルカは身を翻した。
「薬師、カブト。」
イルカがその名を口にするとカブトはにやりと笑った。
「お久しぶりです、イルカ先生?」
必死になって走っていると言うのにまったく振り切れない。そんなイルカを嘲笑うかのように、余裕を見せながらカブトが世間話をするように声をかけてくる。
「いつから、」
「最初からですよ。あなたが僕の跡をついてきた頃からずっとあなたの行動はチェックしてました。まさか競り落とすとは思いませんでしたがね。一体どこにそんな巨額の富を隠していたのやら。僕の調べではあなたはそれほど裕福ではなかったようでしたが、或いは誰かに恵んで貰っていた?孤児になって3代目に随分と贔屓にしてもらっていたようですし?」
イルカの呟きに丁寧に応えて、そして更にカブトはイルカに向かってゆっくりと距離を縮めていく。
「それはあなたには勿体ないものですよ。大蛇丸様のために研究されてこそ本領発揮というものです。それをあなたみたいなクズが買い取っても宝の持ち腐れですよ。」
イルカはぎりぎりと唇を噛み締めた。反論などするものか、こいつの口車になど乗せられるな、冷静になれ、どうすればこの場を切り抜けられる?
「あなたも分からない人ですね、無駄だと言っているでしょう。その腕を渡せば命だけは見逃してもいいですよ。自分の命代として支払ったのならば、あの巨額の競り代も安いもんでしょう。」
イルカの意識を読みとっての逆手の心理攻撃を仕掛けてくるつもりか、だがその手にのるものか。
イルカは力を振り絞って走り出した。装備をあまりしてこなかったことが悔やまれるがそれでも多少は装備しているし、体力もまだある。まだ、逃げられる。
イルカは木の葉へと向かって桜羅の都の出口へと向かった。入国は厳しいが出国はかなりアバウトなこの国は、出国許可などなくとも勝手に出られる。
イルカは都を囲む壁に登って森の中を跳躍していく。カブトは楽しんでいるのか、一度はすぐ側まで近寄ってきたというのに、ある一定距離を置いてイルカを追ってきている。しかしあとの残り二人はどこに行ったのだろうか。まさか待ち伏せなのか?だがそんなことを念頭に走っていても仕方がない。
イルカはひたすら走り出す。木の葉の里まで持てばいい、この身がぼろぼろになったっていいから、この人の体を無事に送り届けることができれば。
それだけを胸にイルカはひとすら走り出した。
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